大人になるということ2

本音と建前が使い分けられる人が大人、という意見もあるがこれは概ね同意する年になった。俺は基本本音でしか物事を喋らないので、建前を使うことは少ない。ただ唯一使う時は、建前に本音の感情が滲み出てる人と喋る時である。そういう人は、本音でしたいことを建前という何かもっともらしい言葉で武装して押し付けようとしている。それを本音と建前という言葉で定義するかはさておき、そういう大人は多い。基本的には大人でも人間だから感情で動いている。感情論で話していることを変えることは難しいと25年生きてきて理解した。なので、そういう相手はめんどいんで、本音ではなく建前で喋って終わらせることにする。

本音をぶつけられるのは本当に仲がいいと思っている人だけだ。俺はこうしたい、って主張はそのレベルじゃないとしないし、相手がそれでぶつかってきてくれると思っているから主張している。そう考えると仲がいい友達が減ってくるのは確かにわかる。久々に会った友達にそこまで強くは主張できない。お茶を濁したほうが楽だからだ。

そういう意味で妥協案を探すという行為はかなりエネルギーを使う行為だ。どちらかが折れて終わるならばそれが楽だ。その妥協案を探してまでもお互い一緒にいたいと思える相手こそが真の友達なのかなと思うし、それが恋人に対する最低限の条件なのかなとも思う今日この頃でした。